※ここでいうジャエルは、ブラジルのサッカー選手ジャエル・フェレイラ・ヴィエイラのことではありません。悪しからずご了承ください
こちらの続き
普段は付けないタグの効果もあってか、いつもより多く読んで頂けたようです。ありがとうございます。
前回言及した二次創作の特徴「もともとあった文脈から切り離して任意のものに接続する」について、私が今後の二次創作ライフの大半を費やすであろうジャエルを例に書いていこうと思います。
ジャエルとは
俗にクロスオーバーと呼ばれる、違う作品同士の登場人物をくっつけたカップリングです。
「ガーディアンズ 伝説の勇者たち」は日本では劇場未公開なので知名度が低いでしょう。2012年公開、ドリームワークスのアニメ作品です。
ドリームワークスはシュレックやカンフーパンダなど数々の名作を送り出しているアメリカのアニメスタジオ。
そしてこのガーディアンズの主人公こそが、ドリワ作品随一の美少年であり霜の妖精ジャック・フロストなのです。
この映画のテーマとして「人間が信じることで目に見えない存在が力を持つ」という現象があるのですが、主人公ジャック・フロストは300年以上誰にも信じられないが故に人間の誰にも姿を見られず、自分の存在に気づいてほしくて、ひたすら風と氷雪を操って人間の気を引く悪戯を繰り返してきました。
ここがジャックとエルサを引き合わせるポイントです。まず表面的にも同じ氷属性の能力を持つという点で「お?こいつら良い感じじゃね?」と注目が集まりましたが、「孤独」という共通項がより関係を盛り上がらせる鍵になります。
アナ雪に関してはもう説明するまでもないですが、ご存知の通りエルサは生まれ持った氷雪を操る能力で幼少期に妹のアナを傷つけてしまい、それ以来誰にも能力を知られないよう城に閉じこもる生活を送りました。
一方は「妖精としての存在を誰にも信じてもらえず、透明人間のように生き続ける孤独」もう一方は「人と違う力を持つことが他者への脅威となり理解されない孤独」、そして二人とも同じ氷属性…アツすぎる…!
こちらのジャック、映画中で小さい妖精を助けようと手で包むと妖精がくしゃみをし、「ごめんよ、寒くなるだけだね」と言うシーンがあり、「誰かに触れればその者を凍えさせてしまう」と示唆されているのですが、「The colod never bothered me anyway(どのみち私は寒さを感じない)」と言うエルサなら?むしろもうジャック、君には彼女しかいない!
つらつらと書き連ねたジャエルについてですが、それがどうして冒頭の話に繋がるのか。
まずクロスオーバーという仕様が、もともとの文脈から大きく切り離すことになります。クラシカルな夢と希望の情操教育を子供に届けるアニメーションスタジオ ディズニー。対するちょっとアンチディズニー風味な反骨精神の流れにあるドリームワークス。
さらにはエルサはディズニー初、恋愛要素ゼロのプリンセスです。ファンからはレズビアン設定にしてほしいという要求もあったけど、結局反映されることはなく、一切の絡みさえもなく独り身を貫きますね。それは恋愛という人の目を惑わすフィルターを通すことなく、もっとプリミティブな、本当の自分を見つけることとそれを体現することがエルサの役割だったからです。
それが、公式がエルサという人物の事実としている文脈です。
でもそんなの二次創作では知ったこっちゃないわけです。恋愛NGとか誰が言った?
資本主義の権化みたいなディズニーに一見踊らされてるようで、天下のディズニーが提示する文脈なんか無視して、勝手に違う文脈で遊び倒す。
その意味で「資本主義を横にずれる」ことに他ならないのです。
ジャエルは私の二次創作人生で最も意欲を掻き立て果てなき可能性の幅を感じさせてくれるモチーフで、本当に出会えたことに感謝しています。
pixivで「ジャエル」と検索したら一目瞭然ですが、日本で現在ジャエルの小説を書いているのはほとんど私だけです。風前の灯火のような過疎ジャンル。
でも、だからこそ良かったとも思います。有名ジャンルだったら閲覧数やいいね数を他の投稿者と比べて落ち込むことも多かっただろうし。
その点ジャエルは、過疎なのに一方のエルサが知名度抜群なおかげでいつでも新規参入が見込めるという奇跡のようなバランス。
そんな奇跡のジャエルと共に私はこれからも資本主義をずれてずれてずれまくっていく所存です。