推し哲学者、千葉雅也の数年前のインタビュー記事で、こんなのがあります。
哲学の専門的なことは全然分からないけど、千葉さんがツイートする一般にも理解できる言葉で書かれた資本主義批判とかはかなり自分の感覚にも一致するので大好きです。
ビジネスパーソンの自己啓発のように支配の中で上手くやるのではなく、かといって今すぐ資本主義を脱出しようというラディカルなことを言うのでもなく、"横にずれる"
数年前にこの記事を読んだとき、「そうか、二次創作が私にとって横にずれることなんだ」と実感しました。
いや待て待て…コミケを始めとして二次創作の大規模なイベントは枚挙にいとまがないし、とらのあなという同人専門の流通システムもある、そして同人誌を対象にした中小の印刷会社も多数ある以上、そんなのとうの昔に市場化されて資本主義に回収されているぞ…という反論もあるでしょう。
そんなこと関係ない、だって私は参加したことないから!
それにクリエイターとして二次創作でサークル参加する人々だって、儲ける目的で資本主義的にやっている人なんていないはず。
きっとそうせずにはいられない、市場化できない何かに突き動かされてやっているのではないでしょうか。
私にとっても二次創作とは、遡れば物心ついたときから息をするようにやっていたくらいには自然な行動でした。
一番古い記憶を辿るとボボボーボ・ボーボボのビュティとヘッくんのカップリングだっただろうか
まあしかし、それがまさか自分だけの私的な妄想ではなく、世の中にはそれを漫画や小説にして大々的に公開する文化があるとは…いつ知ったかも覚えていないしpixivもいつのまにか息をするようにやっていた気がするけど
だから市場化された文化が先にあるのではなく、誰に教えられるでもなく、最初から生活のサイクルに組み込まれていた。それが私にとっての二次創作です。
ここで第二の反論についても考えてみましょう。(勝手に想定してるだけ)
「何か」に突き動かされるなんて崇高なものじゃなく、所詮は承認欲求だろう。しかもあいつらのたちの悪いことには、他人が苦労の末に生み出したキャラクターやストーリーをただ単に流用していじるだけで創作者気取りだ
この反論、強烈に拗らせていますね。何かあったんでしょうか。
まず承認欲求があることについては否定しません。人の目の触れるところに公開する以上できれば沢山の人に見てもらいたいし、良い評価も欲しい。人間の性です。
しかし、「他人の作品を流用して創作者気取り」とはいかがなものでしょう。この人は実際に二次創作をする楽しみを何も知らないようです。
純粋に或る作品が好きで、キャラクターが好きで、そのキャラクターを使って作品に無いことをやりたいという気持ちに従って描画なり執筆なりやってみればわかりますが、そもそも二次創作は創作とは全く違うジャンルの行為なのです。
既にあるものを(程度の差こそあれ)もともとあった文脈から切り離して、任意に用意したり作り出したりしたありとあらゆるものに接続し、或いはすでにあるもの同士をパズルのように自由に組み合わせる遊び、それが二次創作なのです。
一次創作にだってそういう要素は多分にあるぞ…ということはまあ置いといて。とにかく二次創作はカギ括弧抜きの創作とはスタンスが違うわけです。そこんとこ知ってもらわないと、頓珍漢なこと言う輩が後を絶たないんで。
程度の差こそあれ、とわざわざ書いたのは、いわゆるファンアートと呼ばれる原作と同じ設定を描いたものから、原作には無い設定で妄想を膨らませるタイプの二次創作まで色々あるからです。
もともとあった文脈から切り離して、任意のものに接続するってどういうこと?
については具体的に書きたいのですが、語りすぎて長くなったので続きはまた後日。
追記:続き▼