配信終了サルベージ記録 Vol.54
※基本ネタバレあり
グッドウィルハンティング
往年の(とか言ったら怒られるのかもしれないが)名作映画というやつだ。
このフレーズは正直好きじゃないのであまり使いたくはないのだが、観ている最中から色々と考えさせられる映画だった。自分の後悔について。人生を棒に振ったんじゃないかという思いが否応なく心を痛めつけてくる後悔。
文学的な(?)表現をしようと悪足搔きするのはやめようか。淡々と書ける範囲で正直に書いていこう。
私はたぶんそういう後悔が人より大きい。ミクロレベルで、現時点ではそこそこ元気に毎日過ごしているが、なんというか、私の気持ちがどうこうというよりも事実として大きい。そのことを恥じていて、なかなか人には言えない。
機会はあったのに、生まれ育った環境も恵まれた方だったのに、私はそれを生かせなかったという忸怩たる思いが、教授に見込まれてチャンスを手にしつつあるウィルを見ていてそこはかとなく纏わりついてきた。
全然関係ないんだけど、グーグル、検索したら勝手にAI回答生成してくるのやめてくれ。君には訊いてない。引っ込んでろ。
それから傷つくのが怖くて前に進めないというのもハイほんとおっしゃる通りですっていう。グッサグサ。自分の恐れを認めること。でもそれを責めないこと。その塩梅は難しい。前者と後者はイコールになってしまいがちだ。でも冷静に考えてみたら両者は真逆ではないかという気もするので不思議だ。
全然関係ないんだけど、「おっしゃる」っていう言葉の響きは妙に間抜けでシュールだな。今キーボードを打っていて「仰る」と「おっしゃる」どっちで書こうかと思案していたら思った。意味を離れて純粋な響きを感じてみると面白い。そういえばごく幼い子供の頃は言葉を意味ではなく響きとして捉えていたということを思い出す。それはとても自由だった。言葉を使うことはコミュニケーションではなく響きで遊ぶことだった。だから当然コミュニケーションとしては失敗することが多く、深い意味はないけど響きが好きな言葉を連呼したら相手を怒らせたということもあった。そのときは何故相手が怒ったかよくわからず、でも大して気にも留めなかった。自由で羨ましい。
話を戻すと、傷つくのを恐れて現状維持しようとするウィルに自分を重ねてしまう。恋愛もそう。結構色々心当たりがある。超すばらしい哲学だ。
それからエリートと肉体労働者の対比。ブルーカラー、ホワイトカラーという概念と序列を私が知ったのは高校生くらいで、人より遅いかもしれない。概念というか…そのことが意味する世間一般的な反応や感情?みたいなもの。知った、というよりもその観念がインストールされてしまったという方が近い。ひとたびそうなってしまうともう前の自由な世界には戻れない。さよならあなた不在のかつての素晴らしき世界GOODBYE~
それ以前は私にとって本当の意味で職業に貴賤はなく、小中学校のときの親友がアパート暮らしで親が宅急便の配達員ということがすなわち裕福でない階級を意味するということも知らなかった。知らなかったというより、序列の違いなんて感じなかった。
職業に貴賤なしと心から思いたいが、やはりお為ごかし感は拭えない。いや本当に思いたいのかもわからない。人より優れたいという欲が無くならない限り、人を見下せる余地は残しておきたいと思うはずだ。
コロナ禍を経て、エッセンシャルワーカーというよそよそしい単語の発明でそれは社会全体でより浮き彫りになったと思う。
成功した自分と敗残者のお前という暴言をショーン・マグワイアに恥ずかしげもなく吐くランボー教授を見てつらくなる。軽蔑しようにもしきれず、観念ではなく事実である、これが社会であるという圧。でもそれを決めるのは自分でなければ。
素性を隠したがるウィルに対して育ちもお金も気にかけないスカイラーの意志は、若さゆえの純粋か、早くに父親を亡くした境遇に由来するものか。その両方なんだろう。
スカイラーって名前はカッコいいな。けどあんまり美人だとは思わなかった。美人じゃねえなあと思う人が作中でいい女扱いされてると聞き捨てならない気持ちになる。
緊張するとおならをする癖のあるマグワイアの亡き妻エピソードは良かったですね。「癖を欠点と捉えられることもあるが、そういう些細なことが愛おしい(?)」って。そうそう、ディティールこそがその人をその人たらしめるかけがえのなさなんだよね。私の尊敬するplagmaticjamさんというブロガーが君の膵臓をたべたいについて書いたエントリでそんなようなことを書いていたと思う。二人だけに通じる合言葉のようなもの
(記事を引用したかったんだけどすぐ見つけられなかったので諦めた)
なんていうか、現代のミームって本来は親しい個人同士の間だけで通じるそういうった、まあわかりやすく言えば内輪ネタみたいなものが、薄ーく世間全体に引き延ばされてその唯一無二性を失ったもののように感じる。だからなんだって感じだが…
この時代だからこそできる描写、公衆電話でスカイラーに電話をかけて、繋がったはいいものの話せなくて無言ガチャ切りしちゃうシーンとかもじんわりしますね。
「市外局番で高いから小銭がなかった」「番号を忘れちまった」みたいな言い訳もできちゃうし。
今だったらかけようとして相手のプロフィール画面を見つめて、通話ボタンをタップしようとして躊躇って、という動作としては非常に小さい地味な描写しかできないもんな。しかもかけて相手も反応したけど正体を知られずに切るっていうことはできない
しかし映画だからまだそのギャップは少ないけど、演劇だとこれは結構困るんじゃないのかな。舞台上でスマホを見て躊躇ってても客席からは何のことやらって感じだろうし
とはいえスマホが普及して10年以上経つんだから演劇でもとっくに新しい手法は見つかっていそう。背景にスクリーンを映すみたいな力技以外にも何かあるんだろうか…
恋愛やキャリアや、人生の諸領域の色々な葛藤がこんがらがったままドンと提示されるような映画だった。ホールドオーバーズという映画が知人との話題に上ったときに「グッドウィルハンティングみたいでしたよね」とそいつは言ってたんだけど全然ちゃうやろがい。ホールドオーバーズは本当にハートウォーミングという言葉がぴったりの心温まる成長物語だったが、こちらはもっとハードでタフで、温まるどころじゃない。
ていうかキャリアって言葉大嫌いなんすよね。これも極力使いたくない。
しかし職業の序列観念に不快感と窮屈さを感じている人にとっては、ウィルが仕事を蹴ってスカイラーを追いかける選択をしたラストは救いだったんじゃないかね。結局のところ何を成功とするかは自分で決めないと自分の人生は生きられないけど、でも輝かしいキャリアなんて虚構だよ、という風にもとれる解釈を与えてくれたわけだから…いやでもそれはただウィルの望むことではないというだけで別にキャリア自体が否定されているわけではないのか…
ていうかキャリアって言葉大嫌いなんすよね。これも極力使いたくない。