前記事の続きの話
一大ムーブメントによって久しぶりにワンピースに突き動かされ、前回ここまで語っておいて白状するの若干気まずいんですけど、実は原作97巻までしか読んでいませんでした。数年単位で話追うの放置してたんですよね(๑•<๑)⌒☆
だって一つの島攻略するまで話長いし複雑だし忘れるし絵は描き込まれすぎて解読大変じゃん、ワンピースって
なんだけどTogetterのドラマ感想で
ルフィの挙動、微妙に「繊細な人がせいいっぱいの愉快なふるまいをしている」感覚を与えてくるんだけど、原作・アニメともにルフィのああいう来歴が明かされた今となってはそれはそれで正解って気がする
っていうめっちゃ意味深なポストを見かけて気になりすぎてついに再開しました。
相変わらず戦い長くて、各キャラが各エリアで戦うのローテーションで見せられるのでかなりだるいのは否めないんだけどストーリーが進むのが楽しみです!
で、読んでてふと気づいたことがあります。
錦えもんがカイドウに突進していくとあるシーンで、「お~ここめっちゃスピード感あるな~」と思い、「あれ?」と思ってそのページを見返しました。
先も書いた通り、ワンピースの描き込みは異常なので特に戦いの場面は「どういう状況?」となりしばしば一度読んだコマを何度も見返す必要が出てきます。
そんな感じで「もうちょっと今の絵じっくり味わっておこう」と思って何コマか見返したのですが、その最初に感じたスピード感の正体が意外だったんです。
静止画でもスピード感を演出する描き方というのは一般的によく見られます。躍動感のあるポーズとか、体の端をブレさせるとか、背景のいわゆるスピード線とか。
でも、このとき感じたスピード感はそれではなかった。
錦えもんがカイドウに向かっていこうとする姿のコマがあり、次のコマではカイドウの目の前に錦えもんがいる。
そのコマからコマへ目を移す瞬間に、実際には描かれていないその間のキャラの動きを脳内で映像的に補完していたようなのです。
これに気づいたときは、かなり新鮮な驚きでした。
つまり、漫画を読んでいるときに感じることや受け取ることって、同じ物を読んでも本当に文字通りの意味で一人一人違う体験であるということ。
凄くないですか??
あーだからこの映像全盛の時代でも物理的に固定された漫画というメディアが輝き続けるんだって腑に落ちた瞬間でした。
映像だとそういう意味では受け取り手の自由度が無いですよね。映像は誰が見ても同じ映像が流れてくるから(クオリアみたいな難しい話を持ち出すとアレですけど)
漫画を読むとき、想像力豊かな人の脳内ではどんなすごい反応が起こっているんでしょうね…